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「新国立ジャイアンツ球場」 水面下の攻防

2015/6/29 3:30
 文部科学省下村博文は29日午前、東京五輪パラリンピック調整会議で、メーン会場となる新国立競技場の整備計画を報告し、建設費高騰の原因となっている、イラク出身の建築家、ザハ・ハディドのデザインを維持することを明らかにした。建設費は当初予定を900億円上回る2500億円に達する見込みで、来月に改めて報告する。水面下で計画の変更を巡る綱引きが激化していた。


 読売巨人軍が、東京ドームから新国立競技場に移転する――。建設費の高騰が問題となる新国立競技場を巡り今年4月以降、こんな情報が永田町を駆け巡った。東京五輪後にプロ野球Jリーグの人気チームを誘致して収益性を高めるという。10月の着工が迫る中、読売新聞グループも巻き込み、ぎりぎりの攻防が繰り広げられた。
■官邸での大一番
 「新国立は2019年3月の竣工に間に合うんですか。間に合わないと聞いていますよ」。6月8日、衆院議員・前内閣府副大臣後藤田正純は、首相官邸官房長官菅義偉に食い下がっていた。
 こんなアイデアがある――。後藤田が菅の目の前で熱弁を始めたのは、独自にまとめた新国立競技場の整備計画だ。イラク出身の建築家ザハ・ハディドがデザインを監修する当初計画では、屋根を支える巨大アーチに予想を超える費用がかかり、総工費が約2500億円に達する。

後藤田正純の案では東京五輪のメーンスタジアム(上)を大会後に縮小して野球やサッカー専用スタジアムに改築する(下)

 これに対して後藤田は、950億円に収まる簡素なデザインを菅に提示した。目玉は五輪後のスタジアム活用法にある。陸上トラックを撤去して、野球やサッカーの専用スタジアムに改築する。そして、プロ野球やJリーグからホームチームを誘致するという構想だ。
 後藤田は、自民党や政府の方針から離れ、単独で行動する時がある。貸金業の「グレーゾーン金利」が問題になっていた2006年には、業者寄りの改革案が金融庁から公表されたことに抗議して、内閣府金融担当政務官を辞任した。スポーツ政策の分野でも自民党内の主流派ではないが、旧態依然としたスポーツ界の改革を訴えたり、独自にスポーツ産業の振興策を作ったりしてきた。
 ブレーンもいる。かつて三菱商事に務めていた当時の同僚で、現在はスポーツ用品の輸入・販売を手がける会社経営者だ。今回のスタジアム構想も2人で何度も話し合う中から生まれた。
 関心を示したのが、文部科学相下村博文だった。ザハのデザインに基づく政府の新国立競技場整備計画に対して、「総工費が高すぎる」「景観になじまない」など世間の逆風が吹く中、下村はオプションを必要としていた。
 「具体的なプランを持ってきてください」。3月に後藤田らの構想を聞きつけると、こう依頼した。4月には、設計事務所を交えて、詳細な計画が出来上がった。
 後藤田は下村の要望で作ったプランを手に4月以降、スポーツ行政に影響力を持つ文教族議員らを精力的に訪問し、実現に向けて根回しに奔走する。さらに援軍を求めたのが、巨人軍だった。
■オープンから27年、老朽化進む東京ドーム
 実は巨人軍にとって、現在の本拠地である東京ドームは「使い勝手の悪いスタジアム」(球団首脳)だ。東京ドームを運営するのは所有者の東京ドーム社で、巨人軍は運営権を持たない。

巨人軍が本拠地にする東京ドーム。球団は運営権を持たない

 球場の中にさまざまな空間を演出しようとしても主体的にはできず、東京ドーム社に要望することになる。ただ同社は併設する遊園地やホテル、温泉施設も管理しており、スタジアムの改装は必ずしも最優先事項ではない。例えば巨人軍がシーズンシートの単価を引き上げようと、豪華な座席を設置したいと考えても、東京ドーム社の設備投資計画の中で優先度が低ければ、後回しにされる。
 近年、巨人軍の年間売上高はシーズンの成績に応じて220億~250億円で推移している。その水準は、巨人軍と同程度の観客動員数(年間約300万人)を持つ米大リーグのチームの半分程度だ。大きな要因は客単価の違いだ。球団内には、「本拠地を思いのままに管理できれば、売り上げは今の2倍あってもおかしくない」との思いがくすぶる。
 東京ドームは今年でオープンから27年が経過した。一般的には30周年が近づく辺りから、老朽化に伴ってスタジアムの一新を検討する時期に差し掛かる。巨人軍にとっては、後釜を模索する時期が近づいている。
 後藤田は、球団首脳に自らのプランを売り込むと同時に、球団経営に影響力を持つ読売新聞グループ本社の首脳にもアプローチ。関係者によるとグループ首脳は2時間にわたって熱心に説明に聞き入ったという。
 読売側にはより有利な条件のスタジアムに移転できるチャンスと映ったのか。5月半ば以降、グループのスポーツ報知や日本テレビが現行計画の代替案を大々的に報じた。
 「建設費抑える新たな計画案を民間会社が提出」(スポーツ報知5月15日付)、「五輪後改修し、プロ野球、サッカー専用競技場」(同5月16日付)。
 後藤田は読売グループや文教族への根回しに加え、現行計画に対する世論の批判を追い風に「外堀」を埋めていく。そして6月8日、満を持して菅の待つ首相官邸に乗り込んだ。
■ハシゴは外され、孤立無援に
 菅さえ了承すれば、後藤田のプランは単なる私案から、政府のオプションに「昇格」する。ところが期待に反して菅の反応はつれなかった。「竣工に間に合わない」という理由で、最後まで首を縦に振ることはなかった。
 実は後藤田が援軍を巨人軍に頼んだことが、永田町で波紋を広げていた。
 6月25日に五輪担当相に就任した遠藤利明は、就任以前に関係者から後藤田構想の説明を受けていた。「このプランは、さすがに無理。国の税金で建てる競技場を巨人軍の本拠地にすることは、国民が許さない」。遠藤はそう思った。
 多くの巨人ファンがいる一方、「アンチ巨人」が多いのもこの球団の特徴だ。
 詳細なプランを作るよう求めた文科相の下村も、バックに巨人軍がついたことを快く思っていなかった。6月22日に開いた記者会見で、「いろいろな方々から提案をいただいており、謙虚にお聞きする。ただ(現行の計画を)白紙からやり直すことはない」と公言し、結果的に後藤田の足元からハシゴを外す格好になった。
 後藤田が巨人軍を担いだことは、必ずしもプラスに働かなった。
 政府がここまで強い「巨人アレルギー」を示したのはなぜか。それを理解するには、競技場のルーツをたどる必要がある。
■かつては神前奉仕の場だった
 新国立競技場の建設予定地に、最初に競技場が建ったのは1924年だ。収容能力3万5000人の明治神宮外苑競技場が整備され、竣工に合わせてスタートしたのが、明治神宮競技大会である。
 主催したのは国家神道をつかさどる内務省だ。日本古来のしきたりに従い、神々の前で体力に恵まれた若者が技を競い、畏敬と感謝の念を表す神前奉仕の大会と位置づけた。明治神宮競技場は国家神道と密接につながった施設だったわけだ。
 太平洋戦争の戦況悪化に伴い大会は中止され、敗戦を機に神道の色彩は消えた。だが、戦後に国立競技場に建て替えられても、国家を代表する正当性は受け継がれた。1964年の東京五輪ではメーンスタジアムとして使用され、日本の戦後復興を世界に誇示した。
 そんな国家との濃密な関係を背景に、この地に建つ競技場は、「日本のシンボル」として広く人々に認識されるようになった。新国立競技場が「巨人軍のシンボル」になることは、政府にとって容認できることではない。巨人を味方につけようとした後藤田への反発は、そこから生まれた。
 しかし、後藤田は決して巨人軍の移転を前提として動いていたわけではなかった。「このままでは新国立競技場は単なるコストセンターになり下がってしまう」と主張する後藤田の構想は、巨人軍を持ち出した時点で「色つき」となったが、世界的なスポーツ施設運営の潮流を見ると、理にかなっている点も多い。
 五輪などの国家的プロジェクトで造られた大型スタジアムは、“宴(うたげ)の後”に苦しい経営を強いられる。そんな事態を避けるために、1996年に開かれた米アトランタ五輪のメーンスタジアムは大会後に大リーグのアトランタ・ブレーブスの本拠地となった。熱狂的なファンに支えられたホームグラウンドとして生き残れば、安定収入を見込める。2012年の英ロンドン五輪のメーンスタジアムも、来年からプレミアリーグウェストハム・ユナイテッドの本拠地になる予定だ。
 後藤田はこうした欧米のメーンスタジアム経営手法を、日本に移植しようとして、失敗した。
 6月24日。新聞各紙は「新国立は現行のアーチ構造を維持し、総工費900億円増の2500億円超で月内にもゼネコンと契約する」と一斉に報じた。政府は、ホームチームを誘致するという後藤田案を却下したことが明白になった。
 一般的な大型スタジアムの年間維持費は数億円程度なのに対して、新国立競技場はその規模と豪華さから、1桁多い50億円以上に達する見込みだ。一方で収入はどうか。現行計画では、数万人を動員できる人気アーティストのコンサートで1回約5000万円、サッカー日本代表クラスの試合で同2800万円。だが、それほど集客できない陸上競技大会では1桁下がる約100万円。学校の運動会には約50万円で貸し出す。ケタ違いの費用を賄うだけの回転数をこなせるのか、不安が残る。
 果たしてホームチームは誘致しないという現政権の判断は正しかったのか。白黒は五輪後にはっきりする。
=敬称略
(吉野次郎)
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