生きることを諦めないこと

本当の言葉を書きます

世界経済

 2014年秋から崩れ始めた原油相場が今年に入って一段と下落しました。主要な指標油種はリーマン・ショック後の安値を下回り、12年ぶりの安値に下げています。2008年に記録した史上最高値に比べれば5分の1以下の水準です。昨年末からは世界の株式相場を揺さぶる要因としても「原油安」が指摘されるようになりました。最近の商品市場の動きにはどのような意味があるのか、点検してみましょう。

 まずは昨年2月に解説した「原油相場はなぜ急落したのか」のおさらいです。原油相場が急落した要因として、しばしば「ヘッジファンドなどの投機的な売り」が指摘されます。たしかにファンドなどの売買の影響で相場の振れが加速(拡大)することはあります。ただ、商品相場のトレンドは基本的に需要と供給のバランスが決めます。長い目で見れば、ファンドなどの売買は需給の不均衡を修正する市場メカニズムの働きを助けているにすぎません。

■「鉄が鉄を食う」

 商品市場の需給が逼迫したり、現在のように緩んだりする背景には景気の変化があります。国境を越えて取引される国際商品の相場は、世界全体の景気の変化を映します。今世紀に入って上昇を続けた国際商品の相場は、通常の変動サイクルを超越した「スーパーサイクル」とも呼ばれました。2004年ごろからは新興国を中心とした需要の急拡大に供給が追い付かなくなり、原油や鉄鉱石の需給が逼迫し始めました。

 資源や石油のメジャー、産油国は相場高騰に後押しされて開発投資を拡大し、供給能力を増強しました。企業からすれば高収益を見込めるまたとないチャンスです。結果としては失敗だった事業も多いかもしれませんが、当時置かれた状況では当然の経営判断でしょう。相場高騰は地下の岩盤層から原油や天然ガスを取り出す「シェール革命」にもつながりました。これらも相場高騰が供給能力の増強を促す市場メカニズムの働きといえます。


志田富雄(しだ・とみお)83年日本経済新聞社入社。欧州編集総局(ロンドン)時に初めて原油、金、非鉄金属などの国際商品市場を取材。北海ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」などを目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て商品部へ。石油、食品、鉄鋼を担当。現在、編集局編集委員兼論説委員
 中国などの工業化で1990年代に8億トン弱だった世界の粗鋼生産量は倍増したのです。中国の新車販売台数は年2000万台を超え、米国を抜いて世界最大の市場となりました。保有台数も12年時点で1億台を上回り、米国(2億5100万台)に次ぐ世界2位(日本は3位の7600万台)です。自動車や建設に使う鉄鋼の増産には原料の鉄鉱石や石炭も増産しなければなりません。原料を運ぶ大型船舶も増やす必要があります。その船を建造する造船所も必要です。当時、鉄鋼企業の幹部からは「鉄が鉄を食う」という話を聞きました。鉄鋼の増産には鉄鉱石を運ぶ線路や船、鉱山機械などが必要だからです。こうして資源ブームが起きたわけです。
 ところが原油が08年、鉄鉱石や銅などが11年に最高値を付けると商品相場は徐々に下がり始めます。需要(世界景気)の拡大をけん引してきた中国など新興国の景気に陰りが出てきたためです。一方、増強された設備からは資源や素材がどんどん供給されますから、需給は緩み、相場は下がります。

 石油の需要はまだ伸びているのに、なぜ相場はこんなに急落するのか、といった疑問の声もよく聞きます。需給の緩和は需要が減少しなくても起き、関連産業は不況に陥ります。鉱山、油田などの供給能力はその時点の需要増加の期待に沿って増強されます。足元の需給が逼迫し、相場が高騰、これなら開発投資に動いても大丈夫という判断が働くわけです。ところが、その後の需要の伸びが想定より鈍れば増えた供給量と需要量の間に差が開きます。市場では安値競争が始まり、相場は下がります。


 米エネルギー省の推定で足元の世界の石油需給は日量100万バレルほどの供給過剰です。世界の石油需要が9000万バレル以上あることを考えれば「たかが100万バレル」と考えるかもしれませんが、毎日100万バレルが余分に供給される影響は軽視できません。中国の昨年の粗鋼生産量は前年比2.3%減の8億383万トンと34年ぶりに減少しました。それでも1億トン以上が過剰生産で、あふれた鋼材は世界の鉄鋼産業を不況に陥れています。11億トンの鉄鋼生産設備を持つ中国は中央政府が設備淘汰策を打ち出す一方で、中国などのアジア地域では昨年から今年にかけて新たな大型設備の稼働が相次いでいます。
■中国経済の行方が焦点

 ではなぜ、昨年末から原油などの相場が一段と下がったのでしょうか。それも需給で説明できると思います。たしかに原油や天然ガスの相場急落でシェールなどの新規開発は大幅に縮小されました。ただ、既存の設備からの供給はまだ目に見えて減少していません。北米のシェール関連施設が淘汰されたり、石油輸出国機構(OPEC)諸国やロシアなどが協調減産に動いたりするかどうかが今年の注目点といったところです。

 需要はどうかと言えば、不安の震源地である中国経済の行方が焦点になります。商品相場が上昇を続ける局面では「高成長を続ける中国」が世界のお金をひき付けました。07年までは米国の住宅バブル、リーマン・ショック後は危機を乗り越えるために米国などが打ち出した金融の緩和政策でお金は潤沢に供給されたのです。放っておけば人民元は急騰しますから、中国人民銀行中央銀行)は元売り・ドル買い介入に動き、外貨準備が膨れ上がりました。余ったお金は中国国内にあふれ、さまざまな投資を刺激したのです。


シェールオイルの新規開発は縮小したが、既存設備からの供給は目に見えて減少していない(米テキサス州
 ニューヨーク原油先物市場で投機売買をするマネーと違い、中国に流れ込んだお金は工場や住宅の建設を刺激することで実体経済を動かします。今世紀に入っての相場上昇がよくいわれる「商品バブル」や「資源バブル」であったとすれば、それは「中国バブル」や「新興国バブル」の上に乗ったものだと思います。
 足元では、相場の上昇局面とまったく逆の動きが起きています。中国に見切りを付けたお金は米国などに戻っています。米国経済が回復し、金利の引き上げに動いたこともお金の逆流を加速します。人民銀は元急落を避けるための元買い介入に動き、外貨準備は急減。お金を吸い上げられた国内では金融を引き締めるような効果を引き起こしています。

 投資主導の経済成長を習近平政権が改め、内需主導の安定成長をめざしていることはいいことです。しかし、お金の逆流が止まらず、中国経済の変調が深刻になれば、影響は中国だけでなくさまざまな国に及びます。中国は世界第2の経済規模を持つようになったのです。需要の期待値がどんどん後退し、需給の均衡シナリオが描けないために相場は一段と下げたと考えられます。

 原油相場が崩れ始めた14年後半から15年初めにかけては「原油安の恩恵」が強調され、世界経済の押し上げ効果も大きいとされました。しかし、その後の世界景気は良くなるどころか、状況は悪化し、世界銀行なども成長率見通しを下方修正しました。原油が下がれば自動車の販売も上向き、ガソリン需要などの伸びも勢いづくはずです。原油安→景気回復を石油の需給でみたシナリオです。たしかに米国の自動車販売は回復しましたが、タイやインドネシアなど東南アジア諸国の自動車販売は苦戦を強いられています。ブラジルやロシア、中東諸国の状況はもっと深刻です。

■世界連鎖不況のリスクも


中国経済は減速が鮮明に(2015年10月、江蘇省南通市の港)
 世界経済の中で中国など新興国の影響力は2000年以前と比べ桁違いに大きくなりました。その変調がどこで止まり、回復するのかが見えないのです。世界経済のけん引役は米国から新興国に移り、再び米国がけん引役になる、というシナリオも昨年まではよく耳にしました。ただ、頼みの綱の米国経済にも不安の色が出ています。ドル高と新興国経済の変調で輸出が落ち、製造業の調子がおかしくなってきたからです。みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミストは、新興国の調整が続く中で唯一のけん引役である米国が失速し、世界が連鎖不況に陥るリスクを指摘します。
 中国などの新興国に出入りするお金の流れもそうですが、現在進行しているのは相場の上昇局面と逆の動きです。鉄が鉄を食う資源ブームは、鉱山や油田の開発投資が減り、鉱山機械やリグ、造船需要が落ち込む「負の連鎖」に変わりました。世界の株式市場に流れ込んだオイルマネーも逆流しています。

 景気(需要)の伸びが見込めなくなれば、相場が一段と下げ、市場メカニズムが供給設備の淘汰を促すことでバランスを取り戻そうとします。これも相場の上昇局面と対照的な動きです。その過程では企業の信用不安や体力の弱い資源国の債務危機も懸念されます。かなり暗いシナリオですが、原油などの相場が一段と下げた意味はここにあると思います。このシナリオを回避するためには中国を中心とした新興国の経済がこれ以上変調することを食い止め、米国など先進国の景気を失速させないことが必要です。

 今週、世界の株式相場は下げ足を速め、商品市場ではリスクに敏感な金の値上がりが顕著になってきました。後に振り返れば「16年の原油20ドル台は下げすぎだった」という可能性はあります。それでも相場の急変動が発する意味(警告)には謙虚に向き合うべきだと思います。商品相場は景気を映す鏡なのです。