停滞は勝ち組は.終焉の始まリ
【シリコンバレー=兼松雄一郎】米ヤフーがインターネット広告などの中核事業を米通信大手ベライゾン・コミュニケーションズに売却し、ネット事業からの撤退を決めた。ネット業界の先駆的存在で、その後一時代を築いたヤフーだが、売却後は投資会社のような存在となる。米グーグルや米フェイスブックなど競合が台頭する中で経営改革が遅れ、実質的に市場から「退場」に追い込まれた格好だ。
マリッサ・メイヤーCEOは米ヤフーの再生を果たせなかった
ヤフーは90年代後半、ポータル(玄関)サイトとして注目を集めた。検索、Eメール、通販、ニュース閲覧などの幅広いサービスを普及させ覇権を握った。検索エンジンの世界シェアは最盛期は4割を超えた。
急拡大するネットサービスの象徴だったヤフーと提携しただけで相手企業の株価が急騰する状態が続いた。ヤフー自身、2000年のIT(情報技術)バブル時には時価総額が13兆円を超えた。
だが、その時点で衰退の兆しは見えていた。後発のグーグルの検索エンジンの利用が急激に増え始めており、00年にヤフーが採用したことで勢いを増した。
それに伴い広告もグーグルに流れた。後になって何度か買収も試みたが後の祭り。ヤフーは諦めて04年に自社開発の検索エンジンに戻したが、すでに埋められない技術差がついていた。
グーグルが勢いを増しているころ、フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も台頭。利用者が情報を得る流れが変わった。デジタル広告とメディアの2つの中核事業でヤフーは中途半端な存在になり、徐々に競争力を失っていく。
劣勢挽回を狙ったトップ人事も不発に終わる。12年にグーグルからサービス開発の力を買われてスカウトされたマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)は携帯端末や動画向けの広告事業の育成で打開を図った。相次ぐベンチャー買収によるスマホ向けサービスに強い人材の獲得、サービスのデザイン改善などに努めたが、主力の広告事業を立て直すには至らなかった。15年は売上高は前年同期比7%増の49億ドルだったが、最終損益は43億ドルの赤字だった。
製品サイクルが極度に短い消費者向けITの世界では、新興勢を早い段階で買収するか、自ら競合サービスに果敢に乗り出さなければ支配的な立場が脅かされる恐れがある。ヤフーはポータルを通じてあらゆるネットサービスを提供する巨大企業となったことが、かえって新興勢に対する危機意識の薄さを招いた。