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生きることを諦めないこと

本当の言葉を書きます

沖縄の七十年代

 沖縄県出身で1970年代から日本本土と米国の間で揺れ続けた沖縄の姿を見つめてきた写真家の石川真生さん(63)。同県金武町の黒人兵相手のバーで75年から77年まで働きながら、沖縄の女性と黒人兵の親密な日常を撮りためた。今春に米国で初めて写真集を出版したのにあわせ訪米した。(聞き手はニューヨーク=河内真帆)

自身の写真集「アカバナー」を手に持つ石川真生さん(ニューヨーク市で)
 ――写真集「赤花 アカバナー 沖縄の女」(セッション・プレス社、85ドル)を出版しました。「アカバナー」というタイトルの意味は。

 「沖縄のどこにでも咲いている真っ赤な花のことです。私が撮った沖縄の女性たちのイメージです。特別なところのない雑草みたいにたくましく、ずぶとくて派手な彼女たち。最初にアタマにぱっと浮かび、表紙を赤く印刷しました。中の白黒写真と対照的でしょう」

 ――「赤花」と同じベトナム戦争直後の75年から2年間、黒人兵と沖縄女性の親密な姿を撮った「暑き日々inキャンプハンセン」は日本で80年代に出ています。米国で今、出版するのはなぜですか。

 「82年の出版直後に、日本のテレビや週刊誌で黒人バーの地区は売春街で、女性たちは黒人に身体を売る売春婦、みたいな描かれ方をしました。私が撮ったのはそんなものではありません。あの時代をたくましく自由奔放に恋愛しながら生きた女たちの姿でした。私は自分の写真にも生き方にも全く恥じることはなかったのですが、信頼して撮影させてくれた女友達に迷惑をかけ、傷つけました。責任をとるためにこの時代の写真をすべて封印しました。それから30年間、この写真を改めて外に出すべきではないのか内心ずっと葛藤してきました」

 「ネガもプリントもなくしたはずなのに、11年の年末の大掃除の最中に亡父の遺品の段ボール箱からのこの時代の写真数百枚が出てきました。父は私が黒人兵とつきあうことに猛反対し、私に尾行までつけていたのに、写真を密かに保存してくれていたのです。写真の神様が30年間の封印を解きチャンスを与えてくれたと思いました。そこで13年にプリントからおこして京都の出版社から写真集を出しました」

 「その後、私に興味を持ったニューヨークの出版社の人が写真を見に来てくれて『美しい写真だ』と称賛して、出版が決まったのです」

 ――ニューヨーク市で開催した国際写真展に出展もしました。米国人の反応はどうでしたか。

 「黒人の参加者からは特に多くの反応がありました。『懐かしいな。おれは沖縄にいたんだ』『よくぞ撮ってくれてありがとう』と。若い男性たちも『昔はこんなだったの』と興味を持ってくれましたよ」

 ――最近では大型写真の「大琉球写真絵巻」で、琉球国から薩摩侵略、第2次世界大戦、そして現代までの歴史と問題をお芝居仕立ての歴史絵巻写真として見せています。これまで被写体と撮影者の距離がない撮り方から、自分が演出する作風に変えたのでしょうか。

 「安倍政権になり、米軍の普天間基地沖縄県宜野湾市)の辺野古移設がまた浮上してきました。沖縄人として私は大反対です。写真家として何ができるか考えたすえ、今を知るためにも琉球王国の時代からの歴史をしっかり勉強し、写真として提起することにしました。写真を1メートル×30メートルに布にデジタルプリントし、歴史絵巻物として見せることを考えたのです」

 「各巻が22か23のシーンで成立します。各シーンは歴史的イベントです。私がモデル選びから演出、道具、衣装まで友人の手を借りながら作っています。6×7インチという費用がかかる特殊なフィルムを使っているので失敗は許されません。すべて寄付金を集めて制作しています。昨年の秋にパート3まで見せました。現在はパート4を撮影し、1から4まで一挙に9月5日~10日まで那覇市で見せるのが目標です」

 ――真生さんはがんを患っていますね。

 「三度目です。ステージ4と言われましたが治療はしていません。9月の展覧会が終わるまでは手術もしません。今やっている撮影も展示会もとめたくないのですよ」

 「60を過ぎて、それからがんが再発して『撮る』ことから『納める』ことに姿勢が変わってきました。いままで自分の写真を残すことなんか考えませんでした。でも、もし私の写真が美術館に納められたら、そこで私のしたことが残るでしょう。絵巻を始めたのも絵巻ならくるくるっと巻いてどこかに納めることができるな、と考えたからです」