生きることを諦めないこと

本当の言葉を書きます

都心格差

 東京都港区の住民の所得は1100万円超――。総務省の2016年度の統計からこんな結果が分かった。港区は多くの富裕層が住み、2位の千代田区民より200万円近く所得が多い。港区は23区で最下位の足立区とは約780万円、3倍以上もの開きがあり、"区間格差"は年々拡大する傾向にある。東京など大都市と地方の格差は指摘されることが多いが、大都市内での格差も無視できない。

品川駅南側の高層マンション(東京都港区)
■高所得トップ3は港、千代田、渋谷

 総務省が3月末に公表した16年度の「市町村税課税状況等の調(しらべ)」のデータをもとに、納税義務を持つ住民1人当たりの課税対象所得を算出した。首位は港区(1111万円)で、2位は千代田区(915万円)、3位は渋谷区(772万円)、4位は中央区(617万円)、5位は文京区(587万円)などと続いた。最下位は足立区(335万円)で、次に葛飾区(342万円)が低い。23区の平均は約500万円だった。

 総務省の統計には給与収入だけでなく、株式の売却益や配当収入なども含まれている。港区民は会社などからの給与と金融資産の両輪でたくさんの所得を生み出している。一方、下位の区民は金融資産が比較的乏しく、所得の多くを給与に頼っている傾向がある。総務省の所得データは税引き前のものであり、実際の手取り収入はもっと低くなる。

アベノミクスの恩恵、港区などに集中

 16年度と15年度を比較すると、最も増えたのは港区の9%増だった。千代田区(8%増)や渋谷区(5%増)も収入を増やしており、上位の裕福な区民がさらに裕福になっている構図がある。それに対し、足立区を筆頭に所得が低い区の増加率は0~1%程度にとどまる。

 5年前の11年度に比べて港区の所得は27%も増えているが、足立区は4%増にとどまる。アベノミクスによる株高の恩恵もあり上位の区が所得を着実に増やす一方で、賃金上昇の勢いが弱いため下位の区の伸び率は限定的となっている。

■背景にはブランド力の差も

 「六本木ヒルズなどがある港区はブランド力で富裕層を引き寄せている」。一般社団法人の東京23区研究所所長で、「23区格差」(中央公論新社)などの著書がある池田利道氏はこう指摘する。豊かになった人がブランド力などに引かれて港区に移り住み、区民の所得がますます膨らんでいく。港区にはそんな好循環が生まれている。

 反対に下位の区は所得の低い人が集中する傾向があるようだ。ニッセイ基礎研究所の竹内一雅氏の調査では、足立区は年収300万円未満の世帯が42%おり、23区内で最も比率が高かった。「家賃など生活コストが低いため低所得者層が集まりやすい」(竹内氏)。相対的に収入が少ない高齢者層の比率の高さも背景にあるとみられる。

 米国のトランプ大統領誕生や、フランスなど欧州の極右政党の躍進には格差への不満も背景にあった。日本全体の中で見れば足立区は特に貧しいわけではないが、上位の区との格差は開いている。7月には都議選が控える。東京ではそれほど目立った議論にはなっていないが、投票行動にどう影響するか見てみるのも面白いかもしれない。

栗原健太

沖縄の七十年代

 沖縄県出身で1970年代から日本本土と米国の間で揺れ続けた沖縄の姿を見つめてきた写真家の石川真生さん(63)。同県金武町の黒人兵相手のバーで75年から77年まで働きながら、沖縄の女性と黒人兵の親密な日常を撮りためた。今春に米国で初めて写真集を出版したのにあわせ訪米した。(聞き手はニューヨーク=河内真帆)

自身の写真集「アカバナー」を手に持つ石川真生さん(ニューヨーク市で)
 ――写真集「赤花 アカバナー 沖縄の女」(セッション・プレス社、85ドル)を出版しました。「アカバナー」というタイトルの意味は。

 「沖縄のどこにでも咲いている真っ赤な花のことです。私が撮った沖縄の女性たちのイメージです。特別なところのない雑草みたいにたくましく、ずぶとくて派手な彼女たち。最初にアタマにぱっと浮かび、表紙を赤く印刷しました。中の白黒写真と対照的でしょう」

 ――「赤花」と同じベトナム戦争直後の75年から2年間、黒人兵と沖縄女性の親密な姿を撮った「暑き日々inキャンプハンセン」は日本で80年代に出ています。米国で今、出版するのはなぜですか。

 「82年の出版直後に、日本のテレビや週刊誌で黒人バーの地区は売春街で、女性たちは黒人に身体を売る売春婦、みたいな描かれ方をしました。私が撮ったのはそんなものではありません。あの時代をたくましく自由奔放に恋愛しながら生きた女たちの姿でした。私は自分の写真にも生き方にも全く恥じることはなかったのですが、信頼して撮影させてくれた女友達に迷惑をかけ、傷つけました。責任をとるためにこの時代の写真をすべて封印しました。それから30年間、この写真を改めて外に出すべきではないのか内心ずっと葛藤してきました」

 「ネガもプリントもなくしたはずなのに、11年の年末の大掃除の最中に亡父の遺品の段ボール箱からのこの時代の写真数百枚が出てきました。父は私が黒人兵とつきあうことに猛反対し、私に尾行までつけていたのに、写真を密かに保存してくれていたのです。写真の神様が30年間の封印を解きチャンスを与えてくれたと思いました。そこで13年にプリントからおこして京都の出版社から写真集を出しました」

 「その後、私に興味を持ったニューヨークの出版社の人が写真を見に来てくれて『美しい写真だ』と称賛して、出版が決まったのです」

 ――ニューヨーク市で開催した国際写真展に出展もしました。米国人の反応はどうでしたか。

 「黒人の参加者からは特に多くの反応がありました。『懐かしいな。おれは沖縄にいたんだ』『よくぞ撮ってくれてありがとう』と。若い男性たちも『昔はこんなだったの』と興味を持ってくれましたよ」

 ――最近では大型写真の「大琉球写真絵巻」で、琉球国から薩摩侵略、第2次世界大戦、そして現代までの歴史と問題をお芝居仕立ての歴史絵巻写真として見せています。これまで被写体と撮影者の距離がない撮り方から、自分が演出する作風に変えたのでしょうか。

 「安倍政権になり、米軍の普天間基地沖縄県宜野湾市)の辺野古移設がまた浮上してきました。沖縄人として私は大反対です。写真家として何ができるか考えたすえ、今を知るためにも琉球王国の時代からの歴史をしっかり勉強し、写真として提起することにしました。写真を1メートル×30メートルに布にデジタルプリントし、歴史絵巻物として見せることを考えたのです」

 「各巻が22か23のシーンで成立します。各シーンは歴史的イベントです。私がモデル選びから演出、道具、衣装まで友人の手を借りながら作っています。6×7インチという費用がかかる特殊なフィルムを使っているので失敗は許されません。すべて寄付金を集めて制作しています。昨年の秋にパート3まで見せました。現在はパート4を撮影し、1から4まで一挙に9月5日~10日まで那覇市で見せるのが目標です」

 ――真生さんはがんを患っていますね。

 「三度目です。ステージ4と言われましたが治療はしていません。9月の展覧会が終わるまでは手術もしません。今やっている撮影も展示会もとめたくないのですよ」

 「60を過ぎて、それからがんが再発して『撮る』ことから『納める』ことに姿勢が変わってきました。いままで自分の写真を残すことなんか考えませんでした。でも、もし私の写真が美術館に納められたら、そこで私のしたことが残るでしょう。絵巻を始めたのも絵巻ならくるくるっと巻いてどこかに納めることができるな、と考えたからです」

安藤忠雄

世界の富豪たちが「安藤建築」に託す夢
Forbes JAPAN 1月13日 10時0分


画像をもっと見るTADAO ANDO(Photo by Peter Stember)
「仕事の依頼は大抵、突然事務所にかかってくる電話から」。

世界の富豪たちは、「邸宅」という彼らの理想を体現する最後のプライベートの夢を、安藤忠雄にどう託し、彼はいかに応えているのだろうか。

 

私の建築家としての経歴は、個人宅の設計から始まっています。1970年代から40数年、海外や日本で個人宅をたくさんつくってきました。

最初は、身近な場所から仕事を始めました。その頃につくったもので、私の実質的なデビュー作でもある「住吉の長屋」(1976、写真下)は、当時評判が悪かったです。

大阪の住吉大社の近くの長屋の建て替えでした。そこで私は外部を窓のないコンクリートの壁で覆って外界と隔絶させ、中庭に入ってくる光や風で住み手に四季の移ろいを感じてもらおうとしましたが、室内は冷暖房がなく、快適さや利便性はいいとは決していえません。依頼主はもともと長屋の住人だったので、そのとき意図していたのは、中庭を置くことでプライバシーを保つことでした。いまでも彼はそこに住んでいて、「中庭から見えるのは自分の空だ」と語っています。

1992年に、ルチアーノ・ベネトンにアートスクール(FABRICA, イタリア・トレヴィゾ2000)の設計を依頼され、17世紀のヴィラを改造してつくりましたが、その後、彼の長男のアレクサンドラ・ベネトンから自宅をつくってくれと頼まれました。

彼の妻は有名なスキーのメダリストで、敷地内には大きなプールやジムがほしいといいます。ゆったりと住める家に住みたいというリクエストとともに、彼らが最も重視したのも、外部からのプライバシーをしっかり確保することでした。私が手がけたのは、地中に建物が半ば埋もれた「見えない家」(2004)。敷地の周囲も緑で覆い、住み手が静かに暮らしたいという要望に応えたのです。

仕事の依頼はいきなり電話から

仕事の依頼は大抵、ある日突然事務所にかかってくる電話から始まります。私には海外の仕事を取りつけるコーディネイターはいませんから、直接連絡が入ります。事務所のスタッフが「ジョルジオ・アルマーニから電話です。ご本人だそうです」。そして、ミラノに行くことになり、アルマーニの劇場や本社の設計に携わりました。いまでも彼とは付き合いがあります。

人間同士の心の交流がないと個人宅の設計を引き受けるのは難しい。個人宅の設計は依頼主と後でもめることも多いといわれますが、私は違います。相手の話を聞いて、こちらはプランを出す。心が通じていれば、クレームはありません。これまで個人宅を設計した依頼主のほとんどの人たちといまも付き合いが続いています。

クライアントと共につくる夢

「シカゴの住宅」(1997、写真下)の設計を依頼されたフレッド・アイキャナーとの出会いは、1991年にニューヨーク近代美術館MOMA)で開催された私の個展を彼が観に来たことから始まりました。いまでは25年の付き合いです。

ニューヨークで会った後、しばらくして彼から「シカゴの自宅を建て替えたいので設計してほしい」と言われました。現地を訪ね、仕事を引き受けることにしましたが、私にとって初めての海外での住宅設計だったので、うまくいくだろうかと若干の不安もありました。彼は、「住吉の長屋」や「小篠邸」(1981)などの私がそれまでにつくった住宅をよく研究しているようでした。
メキシコの資産家ファミリーの場合

海外の人たちは私のつくる建築を見て、日本的な感性があふれているといいます。建築のファサードから一切の装飾を省いているという点もありますが、屋外から入り込む自然の光の時間による移ろいを通して建築を構成していることが珍しいのでしょう。

アイキャナーはこうした特性が自分のテイストに合うと感じたのだと思います。技術の進歩で、今日建築の造形や装飾はどこまでも自由に表現できる時代になっていますが、私は造形の先にある空間を主題に据えたいと考えています。一方、住み手もひとりの人間として自らの住まう家にどんな希望や夢を育むのか。明確なビジョンがあるかどうかが問われることになります。

実際、彼からのリクエストは、庭にもとからある大きなポプラの木を残してほしいということで、それ以外の特別な注文はありませんでした。依頼主が自分なりの思いやしっかりとした方針を持って、こちらに委ねてくれると、仕事はやりやすいです。

「シカゴの住宅」の竣工から16年後の13年夏、彼は久しぶりに大阪の事務所を訪ねて来てこう言いました。「東隣の敷地のアパート群を購入したので、アートギャラリーに改造し、住宅と一体で使用したい」。私はシカゴの古い街並みの彩りを残すレンガ造りの既存の建物を残し、補強したうえで、上部にガラスのボックスを増築することにしました。来夏の竣工を目指し、現在工事が続いています。彼が夢に描いたアートと暮らしが一体化した住まいは、まもなく具現化されるでしょう。

モンテレイの住宅」(2011、写真下)の設計を依頼されたメキシコの資産家ファミリーは、最後まで私を信じて精力的に支援を続けてくれた人たちとして強く印象に残っています。メキシコ第3の都市、モンテレイを代表する名家からメキシコ大使館を通じて私の事務所に連絡が入ったのは、2006年のことでした。最初に頼まれたのは、ファミリーの息子の個人宅の設計です。


翌年3月、私はメキシコを訪れました。彼らは現地では飛びぬけた資産家で、家にはピカソマチスルノアールなどの絵画が飾ってありました。私は国立公園内にある山裾の広い敷地を歩きました。深い緑と美しい山脈を見晴らす絶景を望む高台に周囲の環境に溶け込むような住宅を建てることが、私に与えられた使命でした。建築で大事なことは、地域の風土や歴史、伝統に融合する世界をつくり出すよう、その土地とじっくり対話することです。 

ところが、設計を進めるとともに、現地の施工状況を調べると、我々や施主が求めるクオリティーは、現地の施工技術だけでは実現が難しいことが判明しました。そこで、日本から2名の技術者を派遣し、現地指導させることを提案したところ、すぐに快諾され、3週間ほど現地の作業員と共に、練習用のコンクリート壁を一緒に打設し、技術を伝えました。結果的には、それらの作業員を雇う形で、施主自身が建設会社をつくることになりました。

そこまでしたのは理由がありました。地元モンテレイ大学の理事を務めていたファミリーを代表する夫人は、大学のデザイン学科の校舎もつくり直してほしいと言い出したのです。それが「モンテレイ大学RGSセンター」(2012)です。

キャンパスの入り口に隣接する場所に、ダイナミックなゲート上のフォルムを構想しましたが、特殊な形態ゆえに建築コストが予想以上にかかり、一時工事を断念しそうになりました。しかしそこでも夫人は妥協することなく、なんとかプロジェクトを実現させました。
若い時代はひたすら走るしかない

建築は依頼者の強い思いがつくるものです。必要なのは、しっかりとした意思があり、ぶれないこと。依頼主がなげやりになると、設計もなげやりになります。建築家と依頼主はお互いにパートナーとして一緒に新しい世界を切り開いていく関係にあります。優れた依頼主はしっかり自分の意見を言うし、我々もしっかり聞く。そうすることではじめて価値ある建築が生まれるのです。

<RGS>という呼称は、モンテレイ大学の発展に寄与したファミリーの名前に由来します。2013年にセンターの竣工式を無事迎えた夫人は、翌年7月、自らの使命をすべてやり終えたかのように静かに逝去しました。

個人宅の設計というものは、我々にとってはひとつの仕事にすぎませんが、依頼主にとっては一生の住まいとなります。だから、お互いによほどの信頼関係がなければ、うまくいきません。

実は、モンテレイの仕事を請けるとき、最初はためらいがありました。それを乗り越えられたのは、依頼主の熱意に圧倒されたからです。技術的なことはメキシコと日本ではずいぶん違いますが、気持ちさえあればなんとかなる。仕事に必要なのは、創造性はもちろんですが、忍耐力と協調性、持続力です。

その意味では、私が建築を手がけた直島(香川県)のベネッセハウスミュージアムの実現も、施主であるベネッセコーポレーションの福武總一郎氏の勇気といえるでしょう。どんなプロジェクトも、クライアントに勇気があって、前に進めようという気持ちがあるかどうかにかかっているのです。

これまで私は、サントリー佐治敬三氏、アサヒビールの樋口廣太郎氏、セゾングループ堤清二氏、京セラの稲盛和夫氏など、多くの企業家たちとの出会いに恵まれました。皆私より15歳くらい年長です。彼らとの出会いが生まれたのも、私が常に希望を持って、夢に向かって全力疾走していたからだと思います。何の実績もありませんでしたが、ただ「人間として面白いから」というそれだけの理由で、相手にして下さったのです。

だから、若い時代はひたすら走るしかない。全力で走っていれば、必ず誰かが近づいてきます。クライアントは一緒に走れる人がいい。何でも言うこと聞く人より、言うことを聞かないけれど、希望に燃えている人がいいのです。

TADAO ANDO◎1941年大阪生まれ。建築家。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。79年「住吉の長屋」で日本建築学会賞。代表作に「光の教会」「淡路夢舞台」「FABRICA(ベネトンアートスクール)」など。10年文化勲章受賞。17年9月27日(水)~12月18日(月)国立新美術館にて開館10周年「安藤忠雄展」開催。原寸大で「光の教会」を再現するほか100を超える住宅作品の全てが公開される。
Forbes JAPAN 編集部
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篠山紀信ヌード写真展

 

篠山紀信壇蜜が誘う快楽の館。
歴史に翻弄されながらも、東京の一角に凛と佇む原美術館。1月9日まで開催されている展覧会「快楽の館」では、建物が放つ強烈な個性と色気に応えるように、篠山紀信が館内で撮影したヌード写真の数々が、この館を埋め尽くしている。篠山紀信と被写体を務めた壇蜜が、共有した濃密な体験を振り返る。
2016.11.25

篠山紀信(以下S) 今回、原美術館での個展開催にあたって、まず建物を隅々まで見せてもらったんです。ここは1930年代に建てられて、長い歴史と、建物がもつ独特の感触や匂いがある。美術館にありがちな無味乾燥な空間ではない。色っぽい建築なんだよね。見ているうちに、ヌードをテーマに、美術館の敷地だけで撮影するアイデアが自然に出てきた。「この場所で撮って、この場所に返す」というコンセプト。観客も、絶対安全圏にいるわけにはいかず、美術館の空間に巻き込まれる。〝鑑賞〞じゃなくて〝体感〞だね。

壇蜜(以下D) 見る人の視点も加わるから、三次元+αですよね。見たあと、とても疲れる展覧会だと思います。「ああ面白かった」では済まない。「すごいところに来ちゃった」という感じ。私もこんな展覧会は初めてで、これまで見たこともない世界でしたし、自分がその一部になることができて光栄でした。

S 最初にロケハンしたとき、普段は開放していない裏庭の苔がとてもきれいだったんです。その苔の上を、白い蛇がくねりながら動いていくようなイメージがふとわいてきた。ここで被写体になるとしたら壇蜜さん以外にない、壇蜜さんが来てくれたら最高だな、と思ったわけです。幸いにもキャスティングが実現して、素晴らしい作品に結実しました。

D 原美術館はもとは個人の邸宅で、戦争とか米軍の接収などの事情で数奇な運命をたどったと聞きました。そのせいか、なんとなく〝禁断の場所〞というムードが漂っていますよね。もしかしたら、そこが私とリンクしたのかもしれません。私は最初から〝袋とじ〞的な売り出し方だったし、長い間、正面きって「見てください」とは言いにくい存在だったので。
PROFILE

篠山紀信
1940年、東京出身。日本大学芸術学部写真学科在学中から広告制作会社で活動を始める。68年に独立し、以来、第一線で活躍し続ける。ヌードから歌舞伎まで多様なジャンルで、精力的に作品を取り続け、
「激写」などの流行語も生んだ、日本を代表する写真家。

壇蜜
1980年、秋田県出身。昭和女子大卒業後、多彩な経歴を経て2010年に『週刊SPA!』の一般公募でデビュー、グラビアアイドルに。TVバラエティ、ドラマ、映画、CMなどでも活躍。10月に著書『泣くなら、ひとり壇蜜日記3:』(文春文庫)を発売。日本舞踊の師範でもある。
「快楽の館」
会期/2017年1月9日まで東京・原美術館にて開催中。巡回はせず、同館のみで展示。
開館時間/11:00~17:00(祝日11月23日をのぞく水曜は20:00まで/最終入館は閉館30分前まで)
休館/月曜日(祝日は開館)、10月11日、年末年始(12月26日~1月4日)
www.haramuseum.or.jp
Photos: Kishin Shinoyama Stylist: Tomoki Sukezane Hair: Go Utsugi at Signo Make: Ken Nakano Text: Izumi Matsuura Editor: Yaka Matsumoto
 
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劣化を教育せず保護なら滅びる

 中国と韓国の経営者がトランプ次期米大統領への警戒感を強めている。日本経済新聞社が中国・人民日報系の日刊紙、環球時報と韓国の毎日経済新聞と共同で実施した「日中韓経営者アンケート」で、自社の事業全体で見た影響を聞いたところ、中国と韓国で4~5割の経営者が「悪影響がある」と答えた。(関連記事アジアBiz面、詳細を6日付日経産業新聞に)  アンケートは2016年12月に実施。日中韓それぞれ約100社の経営者が回答した。トランプ氏の就任について「若干マイナスの影響がある」「深刻な悪影響を及ぼす」と回答した企業の合計は中国で42.0%、韓国で52.9%となり、日本の10.8%を上回った。  中韓の経営者が警戒するのは、トランプ氏が両国からの輸入抑制につながる踏み込んだ政策に言及してきたためだ。中国製品に45%の高関税を課す考えを示し、米韓自由貿易協定(FTA)の見直しもほのめかした。  日経新聞が11月のトランプ氏勝利の直後から実施した「社長100人アンケート」では、大統領就任の影響について、日本でも合計37%が「マイナス」「どちらかといえばマイナス」と答えていた。選挙後の「トランプ相場」で円安や株価の上昇が続いたことが、日本の経営者の見方に影響した可能性がある。  もっとも、就任の悪影響に「関税の引き上げなど保護主義的な政策」を挙げた日本の経営者は中韓に近い50.0%に達した。メキシコ工場からの対米輸出に影響する「北米自由貿易協定NAFTA)の見直し」も日韓で3位までに入った。  トランプ氏就任の「良い影響」では、中国で「環太平洋経済連携協定TPP)からの離脱」が首位(34.0%)。中国抜きの貿易体制づくりに危機感を強めていたことが浮き彫りになった。

内向きアメリカ始まる

 【ラスベガス=中西豊紀】米国雇用を優先させるトランプ次期米大統領の介入戦略が日本企業にも及んできた。同氏は5日、トヨタ自動車のメキシコ工場新設について自身のツイッターに「ありえない!。高い関税を払え」と投稿した。米有力製造業にとどまらず日本を代表する企業までもが名指しで狙われた形で、米産業政策の不透明感がさらに高まっている。

 この日、トランプ氏は唐突に「トヨタはメキシコのバハ・カリフォルニア州に工場を建て、米国向けに『カローラ』をつくろうとしている」とツイッターに投稿した。そのうえで「米国に工場を建てろ」と書き込み、メキシコ工場新設の撤回を求めた。

 3日にはフォード・モーターがトランプ氏への配慮でメキシコ工場新設の撤回を発表したばかり。同じ日にトランプ氏はゼネラル・モーターズGM)のメキシコ投資も批判し、4日には「これで終わりではない」とつぶやくなど企業介入を続ける意向を示していた。メキシコ投資で外資企業に批判の矛先が向いたのはトヨタが初めてと見られる。

 トランプ氏の批判を受け、トヨタは同日「2015年4月に発表したメキシコへの投資で米国の雇用が減ることはない。トランプ氏の政権と共にお客様と自動車産業につくせるよう協力していきたい」とのコメントを発表した。

 トランプ氏がなぜトヨタを標的としたのかは明らかになっていない。トヨタの新工場の建設予定地はバハ・カリフォルニア州ではなくグアナファト州で、投稿には一部誤解がある。同社がメキシコ工場新設を決める際には、米国工場の雇用を減らさないよう配慮をほどこしている。

 ただ、トヨタ豊田章男社長は日本時間の5日に「ひとたびやった以上、雇用と地域社会への責任がある」と記者団に述べ、メキシコ工場新設を見直さない考えを示した。トランプ氏の投稿はその直後で、社長発言が同氏を刺激したとの見方もある。

 トヨタは80年代、日本車の対米輸出増がもたらした日米自動車摩擦の余波で米国に工場を建設した経緯がある。トヨタのメキシコ新工場は19年稼働予定で、11月の米大統領選直後に起工式を開いたばかり。フォードは18年稼働予定の工場新設を撤回した。今後のトヨタの対応はトランプ氏流の介入を外資が飲むかどうかの「踏み絵」にもなる。

殺人でしかない

ソニー社員が 退職強要後に 自殺  それでも 「労災」を 認めない 東京地裁  背景に 何が?
Kazuki Watanabe

 
2010年に自殺したソニーのエンジニア男性(当時33歳)の遺族が、自殺は労災だと認めるよう国を訴えていた裁判。東京地裁(佐々木宗啓裁判長)は12月21日、遺族側の訴えを退ける判決を下した。

判決は、上司の暴言や人事部の退職強要などはあったと認定したものの、それと男性が精神障害を発症したこととの関連性を否定。労災を認めなかった。

判決後、霞が関の司法クラブで記者会見した川人博弁護士は、「控訴します。高裁で正しい判断を仰ぎたい」「こんな変な、社会常識に照らしてもおかしい枠組みは、なんとしても高裁でひっくり返したい」と語った。

遺族の代理人・川人博弁護士と平本綾子弁護士

川人弁護士のいう、「こんな変な、社会常識に照らしてもおかしい枠組み」とは何なのか?

まずは、事件の概要を振り返る。
原告側によると、自殺した男性は身体障害者(6級)だった。6歳で脳腫瘍になり、一命は取り留めたが、2次性の水頭症になった。左手や左足がうまく動かせず、疲れるとものが二重に見えるような視覚障害もあった。また、脳腫瘍をきっかけとする、自閉症スペクトラム障害もあった。

それでも男性は大学院を出て、2004年4月にソニーに採用され、厚木テクノロジーセンターでエンジニアとして働き始めた。身体障害がわかったうえでの採用だった。

数年間は問題なく勤務していた。しかし、2008年10月の異動以降、環境が一変した。職場で「ラオウ」と呼ばれていた上司Aから、厳しい指摘をされ、会議中に無視されたりもした。

その後、違うグループに異動になったが、2010年1〜2月には、別の上司Bから「お前は子供や高校生の姉ちゃんでもできる仕事しかしていない」「女・子どもでもできる」などと暴言を受けた。(上司はその後、謝罪した)

男性は2009年12月30日と、2010年5月17日に、突然のけいれん発作を起こして入院。2010年6月には神経精神科を受診し、「適応障害」と診断された。

この適応障害を、地裁判決は労災認定しなかった。

精神障害が労災認定されるためには、「発病前おおむね6カ月」に、「業務による」「強い心理的負荷」が必要とされている。

心理的負荷は「弱」「中」「強」「特別」の4段階に分けられている。労災認定には「強」が必要だ。

厚労省が2011年に定めた「心理的負荷による精神障害の認定基準」には、次のような具体例が挙げられている。

「強」になる具体例:「部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」

「中」になる具体例:「上司の叱責の過程で業務指導の範囲を逸脱した発言があったが、これが継続していない」

上司Bの「女・子ども」発言は「中」と認定された。そして、異動前のことなどは6カ月以内でないとして、除外された。


川人弁護士は「実際のところ、心理的負荷の度合いをどう認定するかは、裁判官の考え方次第の部分がある」と話す。


「最後のチャンス」と書かされた。
話は続く。

その後の7月〜8月にかけて、男性は人事部から退職強要を受けた。

「1週間、将来について考えてもらう」「社外もけんとう」「のこりたいなら気づきを説明せよ」「期間を決めてやる。それでダメだったらソニーの外でやる」「みんな、前回がラストと思っている。もう、サジを投げている」など、男性が投げかけられた言葉が、人事部の書類に残っていたという。

男性は、自殺する前日の2010年8月19日、自らのキャリアについての資料を作り、その文末に「最後のチャンス」と記入するよう指示された。

面談は翌20日にも予定されていた。

しかし、男性はそれに出席しないまま、命を絶った。33歳だった。

病気悪化の場合、「強」だとダメ
判決は、7月〜8月の退職強要については、心理的負荷が「強」だと認定した。それで軽症うつ病エピソードを発症したと判断している。

そうすると男性の自殺は、労災と認められそうなものだが……そうならない理由は、厚労省の基準にある。

前述のとおり、男性は6月に「適応障害」の診断を受けていた。これは「業務と関係なく発症した」と認定されている。

そして厚労省の基準では、「業務と関係なく発生した精神障害」が悪化した場合、それが労災と認められるためには、心理的負荷が「強」では不十分で、その一段階上の「特別」ランクでなければダメとなっているのだ。

なお、「特別」の具体例は、「生死にかかわる、極度の苦痛を伴う、または永久労働不能となる後遺障害を残す業務上の病気やケガをした」場合などだという。


これが、川人弁護士が「こんな変な、社会常識に照らしてもおかしい基準」と指摘したものだ。


実は、裁判所がこの基準とは違う判断を下したケースも出てきている。名古屋高裁は12月1日、「強い心理的負荷で悪化した場合、業務での心理的負荷の程度などを総合的に検討して、判断するのが相当だ」と、基準によらない判断をしている。

その一方で、基準に沿う形での今回のような判決も出ている。

川人弁護士は過労死訴訟を数多く手がける。電通事件で自殺した高橋まつりさんの代理人でもある。

彼は、判決文を手にしながら、「結局、国は、労災認定をあまりしたくないのだ」と口にした。

「そういうことが、日本の職場で、自殺が多発している現状を招いてしまっているんです。誠にもって残念、遺憾です」

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