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軍艦島保存の仕方


軍艦島、鉄筋コンクリ建造物の標本から再生の実験場へ
世界遺産軍艦島」の挑戦(下)

2015/10/28 6:30
 「明治日本の産業革命遺産」として、世界文化遺産に登録されることが2015年7月に決定した、長崎市の「軍艦島(ぐんかんじま)」(正式名:端島)。約100年にわたって、風雨にさらされながら解体されずに残った鉄筋コンクリート(RC)造の建造物群は圧巻だ。日本初のRC造の集合住宅が現存するなど、コンクリートの専門家などの注目度も高い。保存の必要性が叫ばれる一方で、何をどこまで残すのか、保存の在り方が問われている。
 「鉄筋コンクリートの劣化・保存について調査するうえで、一級の資料だ」。軍艦島についてこう指摘するのは、東京大学大学院の野口貴文教授。日本建築学軍艦島コンクリート構造物劣化調査ワーキンググループ(以下、建築学会WG)の主査として、島内にある建物の状況を調査してきた実感だ。
 野口教授は初めて上陸したとき、廃虚と化したRC造の建造物群に強烈な印象を受けた。「ここまで劣化しているRC造の建造物が、これだけたくさん解体されずに残っているのを見たことがない。世界中探しても軍艦島だけだ」と指摘する。
 つまり、RCの劣化を調べる“宝の山”なのだ。炭鉱のワイヤーロープを鉄筋の代わりに使用した30号棟、海水や海砂をコンクリートに使用した16号棟など、現在の常識では考えられない工法を採用した建物も多い。
 様々な工法で建てられた建造物が海水の波しぶきを受け、外洋の強烈な直射日光を受ける。厳しい自然環境を耐えて建造物が現存しているだけで貴重だ。しかも、海からの距離や方位、築年によって劣化の状況が異なる“標本”がぎっしり詰まっている。
■限界濃度超えても腐食進まず
 建築学会WGは2012年、島内に残るコンクリート構造物の劣化状況を調査した。採取したコアをもとに材料詳細調査を実施。特に鉄筋の劣化について、興味深い結果が出た。
 目視による劣化調査では、コンクリートの劣化をひび割れや腐食鉄筋の露出状態などによって5段階で評価。築年以外にも、室内への雨水や潮風の浸入が劣化状況を進行させたと考えられる結果が出た。例えば日給社宅では、潮風などを直接受ける北側で劣化が著しく、中庭に面する南側は相対的に劣化が進行していなかった(図1)。

図1 日給社宅(右手)と宮下住宅(左手)の間には、「地獄段」と呼ばれる大階段があった。山上にある神社に通じていた。建物の隙間に張り巡らされた階段も、島内の主要な通路だった

 材料詳細調査では、直径80mmのコアを採取し、塩化物イオン量や中性化深さ、コンクリート内部の相対湿度などを計測した(図2、図3)。

図2  建築学会WGが調査した建物と、コアを採取した部位。直径80mmのコアを採取し、塩化物イオン量や中性化深さ、コンクリート内部の湿度などを計測した。最も古いRC造の集合住宅である30号棟(1916年竣工)など計9棟で計測


図3 鉄筋の腐食状況などの調査結果。コンクリートのかぶり厚が40mm程度で、コンクリート内部の湿度が86%以上の部分で、鉄筋の完全腐食が認められた。内在塩化物イオン量は、コア表面から60~80mmの部分で測定した


図4 映画館だった50号棟(1927年竣工)はタイル張り仕上げ。海沿いに位置していたにもかかわらず、塩化物イオンの浸透量が低く、コンクリートの劣化が抑制されていた

 16号棟の内部のコアでは、塩化物イオン量が鉄筋の腐食限界濃度とされる1.2kg/m3(立方メートル)を大きく上回る3.2~3.5/m3でも、腐食が進んでいない例が見受けられた(図4)。
■耐久設計の在り方に一石
 建築学会WGに参加した東京理科大学の今本啓一教授は、「塩化物イオンなどの腐食要素と水、酸素の3つがあって鉄筋の腐食が進む。コンクリートのかぶりが厚かったり、水分が供給されなかったりして水や酸素が鉄筋まで届かなければ、塩化物イオン量が高くても鉄筋の腐食が進まないという仮説が立つ」と話す。
 この仮説が裏付けられれば、塩化物イオン量が高いRC構造物で、保存や補修の新たな方法を考案するヒントになる。現在は文化財でも、塩化物イオン量が高ければ鉄筋の状態を確認せずに、大規模改修を実施したり、解体したりすることがある。軍艦島での発見は、こうした耐久設計の在り方を変えるかもしれない。
 このほか、波しぶきを受けやすい海側に建っていても、タイル仕上げの建物では、コンクリート内への塩化物イオンの浸透量が低く、コンクリートの劣化が抑制されていたという結果も出た(図5)。

図5 16号棟では、鉄筋がある部分の塩化物イオン量が腐食限界濃度とされる1.2kg/m3(立方メートル)を大きく上回っていても、腐食が進んでいない鉄筋があった(上)。完全に腐食すると、鉄筋の痕跡しか見えない(下)(写真:長崎市

■何をどこまで残すか
 建築学会WGに参加し、軍艦島内で亜硝酸リチウムによる鉄筋の腐食抑制の実験を実施している芝浦工業大学の濱崎仁准教授は、軍艦島に建つ建造物群について、次のように語る。「長期にわたって風雨にさらされ、杭は損傷し、コンクリートが劣化している状態でも残っていることが不思議だ。あの建物をきちんと保存できれば、世界中のRC造の建物を残せるのではないか」
 東京大学の野口教授は、「どの建物を、どのような状態で保存すべきか、長崎市の要求事項が明確になることが重要だ」と言う。
 老朽化したRC造の建造物を保存することは技術的に可能だ。しかし、歴史的な建造物を、廃虚らしく保存するには厳しい制約がある。歴史的建造物の保存・修復に関わるユネスコの憲章では、形状や色を変えないことや、修復部分を全体と調和させることなどが求められる。
 費用面も課題だ。長崎市民の間からは「多大な税金をつぎ込んで、廃虚を保存する必要があるのか」という厳しい声も上がっている。35棟の建造物のなかで、保存する優先順位を決め、限られる予算を適切に配分する必要がある。
 軍艦島の現在の所有者である長崎市は今後、建築やコンクリートの専門家たちの協力を得て、どの建造物をどのような状態で残すのか、保存の在り方を詰める作業を迫られる。そして、日本のRC造建造物の実験場だった軍艦島は今後、RC造建造物再生の実践場として、新たな航路を進むことになる。
(日経アーキテクチュア 高市清治)
[日経アーキテクチュア2015年8月10日号の記事を再構成]